
バイトinプラハ
ドミトリーだかで同室になったトルコ人と仲良くなり、プラハを案内してもらったという。
私は20年ちょっと前、インドのヴァラナシで話しかけてきたインド人に「ヴァラナシを案内してやるよ」と言われ、ガンジス川の辺りにある火葬場を見学し、またその隣に立っている窓の無い塔の廃墟に入り、一人窓際にうずくまるおばあちゃんを指して「あの人はあそこで死ぬのを待っているんだ」と「それがインド人の幸せだからね」と教えてもらったことがある。
崩れかけた廃墟の窓際にうずくまるおばあちゃん、その向こうの窓から見える火葬場、炎の中でゆっくり縮んでいく明らかに人型の塊、火葬場の奥に薄汚いガンジス川、向こう岸の長い河畔とその奥の湿地帯らしき緑、空の青、そして塔から出たら急に「じゃあなんたらルピーな」と言い始めたインド人、「聞いてねえよ」と言い返す私、「案内してやっただろ」と手を差し出すインド人、「払うわけねえだろ!!」と怒鳴る私、狭いバザーみたいなところをまあまあちゃんと走り回って逃げる私、枯れかけで砂っぽい用水路に降りてガンジス川のほとりまで逃げる私、の光景は、「これ捕まったらどうなるんだ」という不安および興奮と共に、いまだにけっこうちゃんと覚えている。
学生時代旅行に行くたび週1ペースで
「さっき払っただろ!!お前ベトナム語で混じってくるんじゃねえよ!!関係ねえだろ!!おい!!英語で喋れや!!」
「デリー駅だって言ってんだろ!!どこだよここ!!ツーリストオフィスじゃねえよ!!駅だ!!」
「いやいらねえよ、いらない。いらないって言ってんだろ、腕に…ギフト?ギフト…?いやお前さっきギフトって言ったじゃねえか、1ドル?払うわけねえだろ!!ついてくんなよ!!払うか!!ふざけんな!!」
みたいなトラブルに巻き込まれていたが、なんであいつらはそういうのが発生しないのか。
なんでか仲良くなった日本人女性とフランス人男性の、話を聞くにどうもダブル不倫っぽいカップルと一緒にマレー鉄道でタイ・マレーシアを南下したことはあっても、「トルコ人にプラハを案内してもらう」みたいな無償であったかいやつは多分一回も無い。
インドのドミトリーで仲良くなった従業員の家に招かれてチャイをいただいた際にも、その彼の奥さんは赤ん坊を抱えてものすごい不信な目でこっちを見ていた。
彼の家にはドアがなく、汚れて灰色じみた厚手のカーテンのようなものが外との仕切りになっており、記憶にある感じだと窓枠はあってもガラスははまっていなかった気がする。
夕方を迎えて薄暗くじっとり暑い家の奥の方から、暗褐色のインド人女性がじっとこっちの一挙手一投足を監視している中で飲むチャイの味の記憶はなく、(明らかに歓迎されてないな…)という感触のぼんやりとした記憶だけが僕の中に残っている。
一人旅ってそういうことじゃないのか。
そういうのが最高だから若者は一人旅に行くんじゃないのか。
チェコやらスウェーデンやらカナダに行く当店のバイトは何を求めてチェコやらスウェーデンやらカナダに行くのか。
今ならアフリカの内陸に行けば、20年後も思い出しては「得難い経験だったな…」と思える経験ができると思う。
としつつ、そんな本日のオススメは【高知産 真あじ】。
大雨の影響を避けて長老植田の出勤時間を18時にしましたが、逆に言えば18時前くらいには雨も止んでまあまあ涼しく過ごしやすい気候になるはず、という読み。
ゆえ、夕方には快適に出かけられる本日、ご来店のうえ【高知産 真あじ】をぜひ。
よろしくお願いいたします!!
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