30年ほど時は流れ、おそらく今の若者はインターネットを「世界のどこにいても地元のツレと繋がれる」ツールだと思っている。
彼らは開けた荒野に「自分たちだけがどこからでも入れる、高い壁に囲まれた町」を作り出し、世界のどこにいても常にその高い壁のコミュニティの内側にあり、外界との接触を拒み、自分と似たような年齢で似たような考え方をする人間との間だけで彼らだけの常識を共有して生きている。
その壁の中には外の世界の常識が無いため、たまに壁から顔を出し、外の人間と外の世界の常識で衝突しても、すぐに壁の中に逃げ帰って「なんか酷いこと言われたんだけど!!ありえなくない!?」「え、ひどい、ありえないよね!!」と「壁の中の尺度」で「悪いのは外の世界」「自分たちこそが正しい」を確認し、外の世界の常識を取り込まず、大人として成長せずにただ年齢だけを重ねていく。
目的の無いコミュニティの中には同じような属性を共有するものによる馴れ合いだけで成り立つ「人間関係風」のものはあれど、全く異なる人間が一つの目的を追う組織において、ルールとルールの間に存在する良識と思いやりのエリアで相互に恩を与え合い築かれる、大人がやってる「人間関係」は存在しないため、子供の壁の外で大人と関係を作る能力もまるで成長しない。
「壁の外の大人」といえば親だけであり、それゆえに大人といえばただひたすらに与えてくれるものと思い込んでおり、「相互に与え合う」という他者との関係づくりが根本的に想像できない。
「子供なんてそんなもの」と言ってしまえばそれはそう、少なくともピーターパンの作者がご存命だった頃には確実にそうだった。
問題はその当時、なんなら直近2,3年前と比べて格段に「SNSの普遍化で子供たちがネバーランドに籠り続けやすい環境が整い、子供の世界を出て、個人として社会を受け止める機会がかつてよりはるかに遠くなった」ことにある。

ウロコを取って

カブトを外す
西日本シティ銀行の子に常識がないのもそれはそう、そしてその対策として職務規定に「スマホはロッカーに置く」を盛り込み、かつ順守させなければならないのもそれはそう、がしかし、我々おじさんおばさんたちはこの課題を解決するにあたって、「なぜ常識がなくなったのか」の原因を理解し、彼ら子供に理解できる言葉で「良識と思いやりをもって相互に与え合うことでルールから外れた部分の世界は回っている」を伝え続けていかなければならないのではないだろうか。
強い言葉や暴力は子供をびっくりさせて壁の中に逃げ帰らせてしまうのでむしろ効果がない。逃げ帰ったバカは壁の中で「なんか怒鳴られた、意味わかんない」「老害で草」「ぜったいあたしたち悪くないよね〜」とか言い合って逆に結束、壁への依存を強める。
上映中の映画館でBeRealするガキとかそろそろ出てくる、というかもう出てるのかもしれない。彼らはおそらく「映画館でBeRealしちゃいけない法律なんてあんの?」と言うだろう。
良識と思いやりが無いなら強いルールでガッチガチに固めるほかなくなるんだから、上映中のBeReal禁止のためにスマホを取り上げられ、結果居間のテレビでしかYouTubeを見れなくなる前に、きちんと外の他者との交流も覚えた方がいい。
さらに言えば、子供の風潮に当てられた幼稚な年寄りがはしゃぐのも課題として存在し、そのような主体性のない高齢な子供のおかげで「飲み放題で飲み残したら1ccあたり10円の飲み残し料金」みたいなルールも作らなければならなくなる。
そんなルール、無くて回るなら無いほうがいいに決まってる。
デジタルネイティブじゃない世代は上述のような言い訳も効かないんだから、ちゃんと想像力を働かせていい感じに譲り合ってこーぜ。
という本日のオススメは【愛媛産 活〆真鯛】!!
【鹿児島産 イサキ】の昆布締めも魚肉のジャーキーっぽくて美味しいものの、まあまあ好みが分かれるゆえひとまずは【愛媛産 活〆真鯛】をぜひ。
よろしくお願いいたします!!

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